近代日本女子教育の先駆者下田歌子
2015年 03月 04日
これではいけない、そろそろ勉強しようと手にしたのが新聞に出ていた『凛として』の本です。歌人の下田歌子について書いてある仲俊二郎氏の著書です。まずとても読みやすい文章で疲れることなくすらすら読めました。とても読みにくい本と読みやすい本があります。仲氏は他にも出されているので読んでみたいと思います。
さて、歌子は歌人としてだけではなく、利発な方で学問も幅広く、深く、思慮深く、性格もきちんとしていて清楚でしかも優しい、そして美しい。志を立てたら強い信念でまっしぐらのまさに新島八重さんのように凛として熱い強い心の方。子供時代から時代に翻弄され、貧しく苦労はされていたけど、学問好きな両親や祖父母という環境には恵まれていたことが幸いしたようです。彼女は日本の女子教育のために一生をささげた方です。学習院や実践女子で尽力された方ですが、84歳命果てるまで教育者として、あるいは婦人の活躍の為に尽力をつくされました。中国等の留学生を受け入れて、終え米に負けないアジアの国つくりには女子教育も大切だと訴えていたのです。しかしとにかんく歌子は叩かれました。それでも歌子氏が誹謗中傷をものともせず凛として活動されたのがすごいと思いました、新聞や雑誌に当時の政界の人達との卑猥な噂を載せられています。
恐ろしい事に当時の社会主義者たちは日本の国柄を大切にする歌子をペンの力で徹底的にたたいたのです。それもあらぬ疑いのゴシップ記事をでっち上げて。
なんと石川啄木のその一人。幸徳秋水などもそうです。それは歌子が天皇両陛下に大変信頼されているのも気に入らなかったし、歌子の教育計画が着実に実行されることも、歌子の素晴らしい実力と運勢とは考えず、色気で大物を操っていると吹聴していたのです。歌子は明治天皇の皇后さまから絶大な信頼を得て、宮内庁に入り皇族方の教育にも力をつくしたのです。歌子は大変な高収入でした。それも歌子を憎む人達は気に入らなかったようです。石川啄木などは歌子のことをよくしらないくせにそんな誹謗中傷を真に受けて金持ちであることを攻撃していました。啄木が亡くなった後啄木の歌が売れたのでよけいに歌子は窮地に追われました。お金持ちであるはずの歌子はいつもお金に困っていました。それは教育に自費を費やしていたからです。私が許せないのがペンの力で叩きまくったのが男性。なんと穴の穴の小さな男性だこと。社会主義者たちは女性が活躍するのがよぼと気に障っていたらしい。これまたおかしい事です。女性のやっかみなら分かりますが、今の週刊誌、朝日新聞みたいに叩かれまくったのです。叩かれても叩かれても信念をまげず、前を向いて、威風堂々と進んでいく歌子の姿は本当に素晴らしい。そんな真実の歌子を応援してくれる人達はたくさんいました。
歌子は執拗な誹謗中傷記事にはらわたの煮えくり返る悔しい思いをしたでしょうが、知らぬ顔をして進んでいます。それらをものともせぬ突き進む強さはどこから出たのでしょう。日本の女子も男性にまけていないものだと思います。当時の女性もなかなか開拓者精神、武士道精神をもった強い女性がたくさんいたようです。